誰も住めない家

近所の某地に、築50年の中古物件が900万で売りに出た。それまで自宅を購入するということは考えもしなかったが、ふとそういう選択肢もあるのではなかろうかと内見を申し込んだ。リフォームは必須だったが、築50年の割には綺麗で、家も庭も広かった。新京成線の駅からも徒歩10分。ただ、いくつか不明瞭な点があり、不動産会社の担当者に聞いたものの、その回答は要領を得なかった。そこで自分で調べてみることにした。

900万という破格の理由は、某地が「市街化調整区域」であることに起因している。本来、市街化調整区域に住宅は建てられない。現今の住宅は、50年前に特例で建てられた家であり、現在は同じ場所に住宅を建設することは出来なくなっている。ただ、リフォームをすればまだまだ住めそうだから、900万はかなりお得だ。市役所の「都市計画課」に電話で問い合わせると、某所の謄本を入手して「住宅政策課」の窓口に行くことを勧められた。契約を急かす不動産会社の担当者を適当にあしらいつつ、六月の晴れた日に、法務局と市役所に足を運んだ。

法務局で、件の土地と建物の「登記事項証明書」と「測量図」を入手し、市役所の住宅政策課に向かった。窓口の若い男性は、某地に家が建った時の資料を出してきてくれて、丁寧に説明してくれた。そこから分かった内容は概ね以下のとおりである。

1963年、畑だった某地の所有者・F.T氏が、自宅の建設許可を市に申請した。そうして市街化調整区域内の某地は「F.T氏の住居」としての使用を認められた。F.T氏の同居人以外が某地を住宅とすることは、この書面では許可されていない。F.T氏が亡くなり、その権利は子供二人に引き継がれたが、二人はそこに住むことなく、15年ほど某地を持て余した末に売却した。それを東京都内の不動産会社が今年の初めに買い取った。結果、この土地に住むことが出来る人間は、この世の中に居なくなった。僕が内見したのは「誰も住めない家と土地」だ。この土地の今後の活用法は、家を解体して畑に戻すか、駐車場にするか、資材置き場にするか、くらいである。

とはいえ、まだまだ住めそうな家である。実際、不動産屋も住居として販売していた。僕のように市役所まで話を聞きに行かず、キャッシュでさっと900万払って、リフォームして住むことは出来てしまいそうだ。そもそも「誰も住めない家」が建つ某所に、住民票を移すことは出来るのだろうか。近所の支所の窓口に行って聞いてみた。結論から言うと、出来てしまうらしい。転入届を支所の窓口で提出する際、窓口は一つ一つの土地の歴史を逐一調べ上げるわけではない。「市街化調整区域」であっても、現状「宅地」となっている番地であれば、そのまま住民票を移してしまう、というのである。(勿論、あの支所の窓口の数名は、僕の問い合わせによって某地の事情を知ってしまったので、もし某地への転入届が提出されれば、受け付けることは出来なくなるとのことだった。)

なんとも不思議な話であるが、知らぬ存ぜぬで住むことは出来てしまうのである。歯切れの悪い不動産会社の応対も、要はネガティブな情報はなるべく掘り返さないまま売ってしまいたい、ということだろう。900万は安いが、やはりそれなりのリスクを負う物件だ。ローンが組めるか分からないし、災害や事件など万一のことが起きた時の保障が無いように思った。不動産会社に無理な値切り交渉を切り出して、話を了えた。ただ、なんの面識もない一家の土地と家の歴史を、法務局と市役所に行って千数百円で知ることができたのは、なかなか面白い経験だった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です